ボクの音楽武者修行の頃 小澤征爾さんのこと2024年02月12日 11:06

小澤征爾さんが26歳の頃 書いた 「ボクの音楽 武者修行 」(1962)という本を読んだのは、友達とビートルズやローリングストーンズに熱中した1963年頃のことです 。ギターを背負って 日の丸を描いたオートバイでヨーロッパの田舎道を走り、様々なコンクールに挑戦していく姿は、日本人でもやればできるという勇気と希望を持たせてくれました 。音楽のため,指揮のためなら何でもするという、 そのガムシャラな純粋さに惹かれ、 その努力に勇気をもらいました。

私は、小学校からピアノを習わせてもらったのに練習に身が入らず、中学・高校で、マンドリンクラブに入ったけれど マンドリンが下手。 伴奏のギターに回ったけれどコードがぱっと押さえられず 、ドラムも かじってみたけれど 音感がなく、、、音楽には全く 素養がないことを悟りました 。
それで 憧れの小沢さんは、勇敢な素敵な理想の男性像として 、ずーっと心にあり続けました。ご逝去の報に接し、 さびしさはありますが、その音楽はもちろん、彼の人生、生き方の足跡は消えず、歴史に刻まれ長く人に感動を与えることは続きます。
ネットで色々な記事を読みました。 世界中の方の心を動かす 生き方 その純粋さが、現代日本人として見習いたいところです。

小澤征爾さん、世界が悼む 「並外れた個性、記憶力」各国が詳報
毎日新聞 2024/2/10 09:05(最終更新 2/10 09:21)

 世界的指揮者の小澤征爾さんの死去に、海外からも報道や悼む声が相次いだ。

「並外れた個性」「カリスマ的巨匠」
 欧米メディアは速報を流した。米紙ニューヨーク・タイムズは「20世紀後半に東アジアの音楽家たちが相次ぎ西洋進出を果たしたが、小澤さんはその草分け的な存在だった」と紹介。「専門家の間では、アジアの音楽家は西洋音楽の技術を身に付けることはできても、それを本当に理解したり、感情的な内容を深く感じたりすることは決してできないとみられていた。並外れた個性と音楽性、努力でこうした偏見を乗り越えた」と評した。

 仏ルモンド紙(電子版)は「カリスマ的巨匠は、それまでになかったスタイルで、世界中で活躍した」との見出しで、小澤さんの逝去と生前の功績を詳報した。生い立ちや指揮のスタイル、驚異的な記憶力などに触れ、1959年に小澤さんが仏東部ブザンソンでのコンクールに出場した際、貨物船にスクーターで乗り込んで渡航したエピソードも紹介した。小澤さんが93年、パリ郊外サンドニの大聖堂で指揮する写真も掲載した。

中国、ヨーロッパからも
 小澤さんは中国東北部の旧満州で生まれ、幼少期を北京で過ごし、中国との縁も深い。日中の文化交流に大きな役割を果たし、70年代から何度も訪中して指揮棒を振り、中国の若手音楽家の育成に尽力した。中国メディアも死去を速報し、ネット交流サービス(SNS)上では「偉大な芸術家だった」「ご冥福を祈ります」など、追悼の声が相次いだ。中国では小澤さんが学校の教科書にも取り上げられるなど、幅広い人々に親しまれる存在だった。

 また、小澤さんが73~2002年に音楽監督を務めた米国のボストン交響楽団は声明で「親切で思慮深く、指揮台ではバレエのような優美さと並外れた記憶力を併せ持った音楽の天才だった。彼の遺産は多くの懐かしい思い出や忘れがたいレコーディングを通じて生き続けている」と追悼した。

 オーストリアのウィーン国立歌劇場はウェブサイトに「過去60年間で国際的に最も重要な指揮者の一人であり、当歌劇場の歴史をともに紡いできた」との追悼文を掲載した。小澤さんの人柄を「謙虚でコンサートやオペラ文学に造詣が深く、歌劇場の誰にとっても会話や議論のパートナーとなった。常に芸術的理想と共通の目的に向かう人だった」と紹介。特に子供たちに音楽の素晴らしさを伝えようとしていた姿勢を懐かしんだ。

 ドイツのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は「かけがえのない友人であり、当楽団の名誉団員でもある小澤征爾さんに心からの哀悼の意を表す」とのコメントを発表した。【ニューヨーク中村聡也、ブリュッセル宮川裕章、北京・河津啓介】

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 世界人としての小澤さん、ずっと心に残ります。